乱高直下のデッドストローク

生娘が運用してます

賃金1500円とルンペンプロレタリアートとヤクザ

最低賃金を1500円に」というデモが盛り上がっているらしい。

 

 僕はバイトしてるわけじゃないので(1ヶ月前に仕送りを止められたのでそろそろ働かねばならないが)今の最低賃金が適正かどうかはわからない。でも単純に給料が上がるのはうれしいし、それで労働者が食えて行けるなら結構な話じゃないかと思う。Twitterやってると「会社がブラックすぎて死にたい」「会社辞めたい」なんてツイートは山のように見るわけで、そういう人たちを救うのは(休暇や企業の体質改善はもちろんだが)結局高い給料ではないかと思う。人間、やはり大金は欲しいし、給料がある程度高ければ大抵の不満は気にならなくなると思うからだ。

 

 しかし一方でこのデモを批判する意見もTwitter上には多い。大抵は「スキルアップでもして転職すれば給料増える」とか「給料が低いのは本人の努力不足」とか。情けない奴で言えば「実家に住めば給料少なくても暮らしていけるよ」等。要約すれば「給料が少なくて暮らしていけないのはお前のせいだ」という感じだ。なんというかゲンナリした気持ちになる。お前らも同じ労働者だろうが。労働者が身内で貶し合って何になるのかということ思う。君たちにとっても悪い話じゃないじゃん。何をゲバってるんだよ。

 

 極めつけは「猫組長」とかいう元ヤクザ(らしい)のツイートだ。最低賃金デモを呼びかけるツイートを引用して「デモする暇あるなら働けバカ」とつぶやいたのだ。当然、これは炎上した。非難のツイートが雨あられと降り注いだが、僕が驚いたのはその「猫組長」のツイートに賛同するリプが続々とついたことだ。目につくのは公務員だったり自営業らしい人物のツイートだが、どう見てもニートとしか思えない奴、非正規労働者アニメアイコンのツイートもかなり見受けられた。なぜ同じ労働者なのに経営者の目線で「努力が足りない」だの「自助努力が必要」だのとデモを批判するのか。

 

 話は変わるが、カール・マルクスは著書「ルイ・ボナパルトブリュメール18日」において浮浪者、乞食、日雇い労働者の類を「ルンペンプロレタリアート」と呼んで敵視している。定職についているプロレタリアート(労働者階級)は歴史的必然によってプロレタリア革命を起こして労働者自身を解放するが、知能が低く教養もないルンペンプロレタリアートブルジョワ(資本家、支配層)の扇動に流されやすく、反革命の権力の手先としてプロレタリアートに牙を向く、としている。本の中でも、ルイ・ボナパルトがフランス第二共和制を転覆させるための走狗として浮浪者や乞食やらを動員する様子が書かれている。

 

現代のルンペンプロレタリアートは、ネットにいるのかもしれない。

彼らは自分らの利益にならないくせに、社会を変革しようとする人たちを口汚く罵倒し、逆に強権的で生活を圧迫しようとする為政者を歓迎する。彼らが何を考えているのかはわからない。おそらく自分の良い将来が思い描けなくてヤケになっているか、自分が強者の側に立っていると思っているのだろう。そういう奴がネット空間にはゴマンといる。はっきりいってクソの役にも立たないから消えろと思う。社会変革を目指すすべての人にとって一番の敵は彼らなのだ。時の政権でも公安でもない。市井の中にいる彼らのような存在こそが、これからますます勢いを増すネット空間で社会運動を行うときの一番の脅威となるだろう。彼らルンペンプロレタリアート反革命の気運を世間に浸透させ、人々の中にある変革の意志を誤った方向に導くのだ。

彼らを完全に排除することはできない。何せネット空間は地球上で唯一、完璧な直接民主主義が施行されているのだから。変革を目指す人々がネット空間上で発言する中で、その言論はルンプロたちによって無力化され、消極的現状肯定とニヒリズムがその場をに蔓延する。TwitterFacebookで、そういう光景を何回か見てきた。その度に僕は唇を噛んで、自分のふがいなさというか太刀打ちできなさに嘆息したものだった。彼らルンプロを完全に排除してしまいたい。しかしそれはできないのだ。僕たちのような変革派は、両脇から飛んでくる罵声や雑言に耐えながら、変革への道筋をゆっくりと、しかし着実に踏みしめていくしかないのだ。

ここ3週間くらいのTwitterを見ていて考えたことでした。

はじめまして

仙台でひきこもりの大学生やってます。アニメなり政治なりの記事をダラダラと書いていければいいなぁと思います。